岩手軽便鉄道の軌跡を辿る

宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフとなった「めがね橋」として有名になった宮守川橋梁。でも現在のJR釜石線の橋梁ではなく、その橋梁に寄り添うように意味ありげに煉瓦式積み上げ構造とみられる橋脚の名残こそが本来のモチーフとなった橋梁跡。もしかしたら、モチーフとなった場所はここではなく達曽部川橋梁だという話もある。

現在のJR釜石線がそのまま岩手軽便鉄道の軌道を利用したわけではないことを知り、またその軌道の跡も現存する場所があることに興味をそそられる。

母も遠野に住んでいた頃、釜石の洞泉にいる親戚宅に出かけるために岩手軽便鉄道を利用して仙人峠駅(本人は足ヶ瀬駅で降りたと記憶しているが)で降りて、仙人峠を徒歩で越え釜石鉱山鉄道に乗り換えて行ったと記憶している。

母が結婚後陸中大橋に住んでいたが、私が知る釜石鉱山鉄道は旅客業をすでに止めており、鉱石貨物専用となっていた。だからこの鉱山鉄道の大橋駅の記憶はなく、現在のJR釜石線の大橋駅のそばが終点だった。とても小さくかわいい機関車で機関士のおじさんとなにやら話をしたり機関車に乗せてもらった記憶がある。この線路沿いで磁石を土の中に入れかき回しごっそりと鉄の粉を付着させて遊んだ記憶がある。その鉄道も1944年廃線となるが、当時私は中一だったことになる。

また、小学生のころ友達と足ヶ瀬堰堤下で釣りをした記憶があるが、せき止められた湖の中に軽便鉄道の痕跡があるとは思ってもいなかった。 

そういうこともあり、私が生まれたときにはすでに廃線となったいた岩手軽便鉄道の軌跡を辿る旅へと出かけることにした。

岩手軽便鉄道の全体像はこちらのウィキペディアでご確認ください。大正期の遠野駅の写真も掲載されています。 

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。但し、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYouTube動画ありません。

達曽部川橋梁(岩根橋)

2012.05.10

遠野市宮守町下宮守20,21地割

隣の駅は上り「晴山」下り「宮守」の無人駅です。

岩根橋駅からやや釜石寄りにその名前の由来となった岩根橋(達曽部川橋梁)があります。鉄道の方の岩根橋は岩手軽便鉄道当時の橋梁をそのまま鉄筋コンクリートで包み込んで作ったもので昭和18年に改修され平成14年には土木学会選奨土木遺産に認定されました。

この工法のため橋脚部分にトンネル状の水抜き用と思われる窓が2つあり、この窓の間に軽便鉄道当時の橋脚が入っていると容易に想像がつきます。

また、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフとなっためがね橋は宮守川橋梁ではなくこちらの岩根橋(達曽部川橋梁)だったとも言われています。

すぐ脇に国道の岩根橋が架かっていますが、比べてみるとその工法に歴然とした違いが見られます。

達曽部川橋梁にて撮影された画像とYouTube動画はこちらにあります。

宮守川橋梁(めがね橋)

2012.05.10

遠野市宮守町下宮守30,31地割

岩手軽便鉄道当時の橋脚が現存し、1脚はほぼ完全に当時のまま残っています。達曽部川橋梁は軽便鉄道当時の橋脚をそのまま鉄筋コンクリートで包む工法を採用していますが、ここはなぜ同じ工法をしなかったのかという疑問が残ります。なぜほんの2,3メートルずらして建設する必要があったのか。察するに、軽便鉄道当時の橋脚が国道によって1本取り除かれています。つまり、国道を橋脚の間に通す作る必要があり、橋脚の間隔にズレが生じたためではないかと。

足ヶ瀬堰堤

2012.05.13

遠野市上郷町細越38,40,41地割

早瀬川砂防ダム「足ヶ瀬堰堤」には満々と水が満ち、水没している岩手軽便鉄道の痕跡を見ることができなかった。ここから堰堤下に降りて沓掛観音まで歩いてみた。なにやら鉄道の軌道跡ではないかと思える程々の幅の草地がかなり長く続いている。かつてはここで野外炊事をしたであろう「かまど」の苔むした姿もあった。ここは国道下にあり、川により近い高さ。ここに軌道があったとは考えにくいか。

足ヶ瀬堰堤にて撮影されたYouTube動画はこちらにあります。

足ヶ瀬橋梁跡

2012.06.07

遠野市上郷町細越40,41地割

岩手軽便鉄道ファンなら見逃せない場所。雪解け時期や豪雨などで増水した時は、その姿を見ることが出来ない。1ヶ月前訪れたときはその姿を見ることが出来なかったが、今回は見事にその姿をじっくりと見ることが出来た。 ネットなどに掲載されている写真にはダム中央にある橋脚の根元付近とそれに続く軌道堤のみのが撮られているが、もう一つ橋脚が現存している。

ダム中央にある橋脚の一部はほとんど崩れていない。ダム中央にあるためほとんど人の手にふれていないためだろうと思われる。また、石組みのために切り出された石が、めがね橋にあるように汚れていない。これもまたダム貯水池の中で水漬けとなってきれいに洗浄され保護されてきたためと思われる。

ダムの中に忽然と現れる岩手軽便鉄道の名残が付近の奇怪な景色と相まって幻想的で美しい。

今回の撮影で確認できたことは、5月13日に足ヶ瀬堰堤で堰堤下の国道側の川岸にある細長い空き地がもしや軽便鉄道の軌道跡ではないかとしていたが、姿を現した橋梁跡の軌道が川の反対岸とつながるように伸びていることがわかった。がしかし、反対岸にはその軌道の痕跡を見つけることが出来ない。

岩手軽便鉄道・仙人峠駅

2012.05.08

遠野市上郷町細越44地割

岩手軽便鉄道の終点、仙人峠駅があった場所。傍らには大正期に建てられた「早瀬観世音」の石碑がある。背後には、当時の名残を留めるコンクリート製の擁壁がある。このコンクリートは日本最古の建造物とも言われているらしい。

このコンクリートの擁壁に石垣でさらに補強しているが、この上にはコンクリート製のベンチらしきものが残っていた。ベンチの苔むし方が半端ではないが、その当時のものではないだろう。たぶん廃線後に設置したものではないか。