遠野物語拾遺3話

昔青笹村には七つの池があった。その一つの池の中には、みこ石という岩があった。六角牛山のてんにんこう(天人児)が遊びに来て、衣裳を脱いでこの みこ石に掛けて置いて、池に入って水を浴びていた。惣助という男が魚を釣りに来て、珍しい衣物の掛けてあるのを見て、そっと盗んでハキゴ(籠)に入れて 持って帰った。天人児は衣物が無い為に天に飛んで還ることが出来ず、朴の葉を採って裸身を蔽うて、衣物を尋ねて里の方へ下りて来た。

池 の近くの一軒屋に寄って、いま釣りをしていた男の家はどこかと訊くと、これから少し行った処に家が三軒ある。そのまん中の家に住む惣助というのがそれだと いう。天人児は惣助の家に来て、先程お前は衣物を持って来なかったか、もし持って来てあるならば、どうか返してくれと言って頼んだ。いかにもあのみこ石の 上に、見たことも無い衣裳が掛かっていたので持ち帰ったが、余り珍しいので殿様に上げて来たところだと、惣助はうそをついた。そうすると天人児は大いに嘆 いて、それでは天にも帰って行く事が出来ぬ。どうしたらよいかとしばらく泣いていたが、ようやくの事で顔を上げて言うには、それならば私に田を三人役(三 反歩)ばかり貸して下さい。それへ蓮華の花を植えて、糸を取って機を織って、もう一度衣裳を作るからと言った。そうして惣助に頼んでみこ石の池の辺に、笹 小屋を建てて貰って、そこに入って住んだ。青笹村という村の名は、その笹小屋を掛けたのが起りであるそうな。

三人役の田に植えた蓮華の 花はやがて一面に咲いた天人児はそれから糸を引いて、毎日毎夜その笹小屋の中で、機を織りつつ佳い声で歌を歌った。機を織る処を決して覗いて見てはならぬ と、惣助は堅く言われていたのであったが、あんまり麗しい歌の声なので、忍びかねて覗いて見た。そうすると梭の音ばかりは聞えて、女の姿は少しも見えな かった。それは多分天人児が六角牛の山で機を織っていたのが、ここで織るように聞えたのだろうと思われた。

惣助は匿していた天人児の衣 裳を、ほんとうに殿様に献上してしまった。天人児もほど無く曼陀羅という機を織り上げたが、それを惣助に頼んで殿様へ上げることにした。殿様はたいそうこ れを珍らしがって、一度この機を織った女を見たい。そうして何でも望みがあるならば、申し出るようにと惣助に伝えさせた。天人児はこれを聴いて、別に何と いう願いは無い。ただ殿様の処に御奉公がしたいと答えた。それでさっそくに連れて出ることにすると、またとこのような美しい女は無いのだから、殿様は喜ん でこれを御殿に置いた。そうして大切にしておいたけれども、天人児は物も食べず仕事もせず、毎日ふさいでばかりいた。

そうちまた夏に なって、御殿には土用乾しがあった。惣助の献上した天人児の元の衣裳も、取り出して虫干しをしてあった。それを隙を見て天人児は手早く身に著けた。そうし てすぐに六角牛山の方へ飛んで行ってしまった。殿様の嘆きは永く続いた。けれども何の甲斐も無いので、曼陀羅は後に今の綾織村の光明寺に納めた。綾織とい う村の名もこれから始まった。七つの沼も今は無くなって、そこには唯、沼の御前という神が祀られている。

上記の綾地打敷を見せて頂いた方のブログがあり、写真が載っています。

絆・・・・羽衣

 

光明寺の綾織

2010.06.19

正式名 照牛山 光明寺

宗派 曹洞宗 花巻市石鳥谷町大興寺の末寺

本尊 釈迦如来

遠野市綾織町上綾織24地割24番地

遠野物語拾遺3、4話に登場するお寺です。寺宝として阿弥陀如来像と綾地打敷を所蔵している。この綾地打敷は、昔天女が村内の蓮池に降り蓮をとって綾を織ったと伝えられ綾織村の起源ともいわれてい る。また阿弥陀如来立像は下地はにゅうねんな生漆を塗り重ねた真っ黒な仏像で中世彫刻の優れた一例として市の文化財に指定されている。