遠野市小友町の供養塔(石碑)群

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。ただし、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYuoTubeがありません。

路供養塔(虫供養塔)
2012.04.29

遠野市小友町13地割

小友町内の入る前の鮎貝方面に行く道路沿いにある。路供養塔とはなにか、虫供養塔とも呼ばれているが養蚕と関係があるのか。ここには三塔の石碑があるが、路供養塔の他に天保の庚申塔、文化の金毘羅山供養塔があり、いずれも明治になる前に建立されたものと推測される。

水路供養塔があるのだから路供養塔があってもおかしくはない。

 

八坂神社(鮎貝)の石碑群

2011.11.20

遠野遺産第47号

遠野市小友町5地割

6月15日の八坂神社例祭の早朝に行われる無病息災や豊作祈願をする行事。木版で刷った馬の版画に一部切れ込みを入れて手綱をつくる。馬の口元に、米の粉 を水で練ったものをつけ水田の水口につなぐ。この馬子繋ぎの名残が石碑の台座の上に置かれていた。石碑は神社を取り囲むように配置されている。神社背後にある石碑群が一番古いようだ。

その石碑は、金毘羅大権現、山神塔、庚申塔、馬頭観世音、月山湯殿山羽黒山、雷神、三峯大権現などがあり慶應の文字などが読み取れる。

 

山谷観音の石碑群

遠野七観音の第一札所

遠野遺産第一号(山谷観音)

遠野市小友町37地割1番地

2011.11.20撮影

遠野七観音の第一番札所。大慈山長福寺として斉衡元年(854)に創建されたと伝えられる。元禄12年(1699)観音堂再建され中世堂の特徴を伝える。(現存)、寛保2年(1742)十一面観音像を安置(現存)。県指定有形文化財。

新たに整備された参道入口に整然と並べられた石碑群と山谷観音境内にある石碑群とに分かれる。参道入口の金毘羅大神が群を抜く大きさで3塔建立されており、山神、庚申塔の小さい石碑も並ぶ。境内の熊野三社大権現、馬頭観世音、山神塔、金毘羅山、ウッコの大木にも観世音碑がある。こことは反対側にも金毘羅大神、愛宕大権現の石塔がある。

巌龍神社の石碑群

2011.11.20

遠野遺産第31号(不動岩と巌龍神社)

遠野市小友町33地割4番地  

不動尊が祀られている巖龍神社の背後にある、高さ約54mの岩壁。その名の由来となった岩面には登り降りする龍の姿のような跡がある。

石碑群だが、神社すぐ左脇には忠魂碑、不動岩のすぐ下には早池峯大神、馬魂碑、金毘羅大権現、竹峯山馬頭観音、山神、皇孫内親王と読める円筒型の石碑、丸く石垣で囲まれた欠けている金毘羅、そしてその横のただ丸い石が気になる。

 

鷹鳥屋の西国順禮塔

2011.08.23

遠野遺産第16号

遠野市小友町43地割

明治10 年(1877)に地区民によって建立された高さ 4.5m、幅 2.4m の市内最大級の石碑。塔石は二郷山で採石し、多数の人で牽引したが途中で動かなり、そこにあった適当な大石を台座にして建てたという。

旧小友峠にあります。道から20mほど下ったところに突如としてどでかい石塔がこれまたどでかい台座の上に乗っています。まさに市内最大級はうそではありません。山谷観音入口にある石塔も大きいものがありますが、その比ではありません。感動ものです。

 

水路供養塔

2011.08.23

遠野遺産第106号

遠野市小友町17地割

上宿橋を渡り長野方面に川沿いに歩いていくとあります。

水路を供養して建てた石塔とはなんとも珍しい。考えられる理由としてはここの住民が利用していた水路が何かの理由でなくなってしまった。恩恵をうけたものに対しての感謝の気持ちを供養塔として残した。ということではないか。

小友村村民の温かな気持ちが伝わる石碑である。

 

六地蔵と冥道

2010.07.27

遠野市小友町27地割

堂場橋から50mほど離れたところにあります。「六地蔵と冥道」という標柱が建って高さ20cmほどの地蔵塔が6塔並んでいます。冥道とはどこをさして言うのでしょうか。この地蔵塔のほかに石塔が6塔並んでいますが、金比羅大権現以外は読むことが出来ません。

堂場橋の石碑群

2010.07.27

遠野市小友町28地割

堂場沢川に架かる堂場橋のすぐ脇に6塔の石碑が建っています。一番大きいのが文政年間の馬頭観世音で、やや手前の位置に小さい石塔が並んでおり、庚申塔・念仏供養塔などがあります。この石碑群から50m程離れて六地蔵があります。

太田の庚申塔群

2010.07.21

遠野市小友町17地割

鷹鳥屋川沿いに小友中学校を過ぎてすぐ右側に並んでいます。一番大きなものは金比羅大権現で、主に庚申塔及び庚申供養塔がならんでおり中には青面金剛塔もあります。制作年代にかかわらず大きいものから順に並んでおり、もともとここに建立されたものではないようです。

小友橋の馬頭観音群

2010.07.21

遠野市小友町16地割

小友町の入り口にある大小きれいに並べられた石塔群です。石塔のほとんどが馬頭観音で、年代順に並んでおらず小さいものから順に並べられていることから、もともとここに建立されたものではなく各地域から集められたもののようです。しかしながら、馬頭観音が多いことは馬場地小友を感じます。

蒻沢(こごみざわ)の石碑群

2012.0523

遠野市小友町1地割

ヒシン塚と呼ばれている。苦行の行者が身を火中に投じた殉教の遺跡と呼ばれているがいつ頃の話か不明。最も古い石塔は文政年間のもので、石塔としてはめずらしい辨財天があるが傍を小友川が流れているので水神として祀られたものであろう。また、馬頭観世音とは別に馬力神という石塔もある。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

獅子一吼百獣脳烈の碑と獅子踊供養塔

2010.07.27

遠野遺産第44号

遠野市小友町21地割

獅子一吼百獣脳烈の碑は獅子踊りを創設した寛保2年(1742)に建立されたといわれる。また、獅子踊供養塔は獅子踊り再興を機に弘化3年(1846) に建立された。これらの碑は、「長野獅子踊り」の発祥の証であるとされる。

過去に撮影された画像はこちらにあります。