遠野市松崎町の供養塔(石碑)群

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。ただし、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYuoTubeがありません。

高場の供養塔群
2014.04.24

遠野市松崎町光興寺13地割

高場の墓地入り口にある供養塔群。以前は正面右側にある「南無阿弥陀仏」供養塔のみであったが、昨年他の石碑とともに整備された。この場所は遠く六角牛山を望むことができ、供養塔もそちらを向いている。

庚申塔、馬頭観世音、保食大神の石碑などがある。

松崎観音の石碑

2011.10.27

昭和36年11月25日遠野市指定史跡記念物

遠野市松崎町松崎11地割81、82、83番地 

この碑は天文6年(1537年)の銘があり、御影石の碑の中では県内最古のものではないかと言われている。

昔、付近の部落の家毎に難病が多く続きので、巫女にお伺いをたてると「御堂の前を流れる小川に古い大供養碑が橋板となって万人に踏まれている。洗い清めて境内に再建して供養すれば災厄が除かれる。」とお告げがあり探したところ、碑石が石橋の役目をしていることがわかり再建した。すると難病はたちどころに部落から去ったそうだ。

登戸橋傍の供養塔群

2011.09.10

遠野市松崎町光興寺4地割

登戸橋と言えば「サムトの婆」、その石碑の方向を向いている供養塔群です。

念仏供養塔、金比羅大権現、南無阿弥陀仏塔があり、その傍らに墓石とおぼしき石塔が3つあります。2つは残念ながら倒れたまま放置されています。

この地域には「サムトの婆」以外に洪水の川の流れを変えるために人柱にされた人たちの話が残っています。もしかしたらそういう人たちのための供養塔ではないのかとも。

西内海上線入口の石碑群

2011.08.07

遠野市松崎町駒木7地割

海上集落の端に位置し、道路そばにもかかわらず道路から見ることが出来ないほど下にあります。そのため住宅地図にも載っていません。

あるのを知っているのは傍の田圃の持ち主だけでしょう。

5塔ほどありますが、金比羅大神と三峯大神(または三峯山)以外は雑草に覆われて読むことができません。

小田沢の石碑群

2010.10.16

遠野市松崎町駒木2地割

久々の大石碑群に出会う。全部で11塔あり、火渡の石碑群や妻の神の石碑群に次ぐ規模である。金比羅塔、庚申塔、馬頭観世音、雷神などがありその他の石塔は読むことが出来なかった。11塔全てが山の方角を向いている。この先には何があるのか。

小田沢入口の石碑群

2010.10.16

遠野市松崎町駒木2地割

附馬牛町と松崎町との境にあり、県道土淵達曽部線沿いに5塔建っている。一見、金比羅塔と百万遍法要塔の2塔しかないように見えるが、雑草に隠れて小さい馬頭観世音の石碑が3塔あった。ここから山へ登るように小田沢部落に入っていくと思いがけない大石碑群があった。

蓬田橋前の三吉大神

2010.10.13

遠野市松崎町白岩31地割

遠野市学校給食センター前で、蓬田橋の手前に豊穣の郷なる石碑と共鎮座している。元々はもう少し違う場所にあったようだ。豊穣の郷の石碑が建立されたときに移されたものかもしれない。東北各地に伝わる三吉大神のルーツは、秋田県秋田市太平木曽石にある三吉神社なのだそうだ。ここにある三吉大神を建立したのも秋田出身の方らしい。

沢の口の金比羅石碑群

2010.07.17

遠野市松崎町松崎11地割

沢の口集落の中心の三叉路にあり。近くには松崎観音がある。墓石も左側に数多く並んでいる。ここの石碑は金比羅大権現が主で、讃州琴平山という石塔もある。この集落では金比羅詣でが主体だったのだろう。他には念仏供養塔、庚山というものがある。数、大きさいずれも代表的な石碑群といえる。

天神の供養塔群

2011.10.10

遠野市松崎町光興寺2地割

太郎淵傍の道路沿い、猿ヶ石川に面したところにあり、田園そしてリンゴ畑が広がっています。石碑群は全部で5塔、さほど大きいものはありません。石碑群の正面は遙か六角牛山です。

向かって右側から馬頭観世音(昭和16年)、念仏供養塔(嘉永3年)、南無阿弥陀仏供養塔が二つ、庚申塔(大正11年)。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

矢崎の地蔵菩薩供養塔

2010.07.16

遠野市松崎町松崎4地割

母也明神に程近い所の左道路際にあり、笹藪の中に沢も流れています。江戸中期寛延元年12月19日に鳥屋部栄助氏が建立したようです。矢崎には7軒の鳥屋部さんがおります。お地蔵さん以外は墓石と思われる石塔のみで、本来の石碑群の範疇ではないのでが史跡としての価値を考え掲載致しました。

上松崎の供養塔群

2010.07.16

遠野市松崎町松崎6地割

上松崎橋から母也明神方面に走りすぐ左側にあります。庚申塔・馬頭観音・南無阿弥陀仏・念仏供養塔が並んでいます。山の斜面の大木の根を台座代わりに山神三峯を刻んだ石碑が木枠で囲まれて人目を避けるように佇んでいます。三峯とはオオカミの神で火防盗賊除け霊験あらたかな神という。

飢饉の碑

2010/04/24

遠野遺産第85号

遠野市松崎町光興寺13地割

江戸時代には全国的にしばしば飢饉が起き、遠野でも大飢饉が10回も起きました。とくに宝暦5年(1755)、6年とつづいた大飢饉には、領内の人口の3 分の1にあたる4300人が餓死しました。それを供養するために建てらました。

妻の神の石碑群

2010.07.22

遠野遺産第62号

遠野市松崎町駒木4地割1番地1

妻の神は塞の神などとも書き、村境にあり外から悪霊が入ってくるのを防ぐ神とされる。この駒木地区にある石碑群は、多くの石碑が並ぶことで古くから知られ ており、名所としても紹介されてきた。遠野を代表する石碑群の一つ。