遠野市附馬牛町の供養塔(石碑)群

サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。ただし、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYuoTubeがありません。

沢の口の石碑群

2012.05.31

遠野市附馬牛町東禅寺14地割

ここは達曽部へと続く宮守寄りの附馬牛地区。近くには遠野七観音の一つ、笹谷観音がある。今にも崩れそうな茅葺き民家があるが今でも現役で使われているようだ。

沢の口の消防センターの片隅にあり、今まで気がつかなかったが風情のある石碑群である。小さいながらも木造で塗装もされていない鳥居が威厳を感じさせる。馬頭観世音、三峯山、愛宕山大権現、大山神命、山神、庚申塔など嘉永・文政・明治に建立されたものの他に、種馬と書かれた大正7年の碑もある。

 

石羽根の石碑群

2011.11.14

遠野市附馬牛町下附馬牛8地割

菅原神社に行くにはここの道を通る。石羽根地区の十字路沿いにあり、すぐそばには菅原神社前にも続いている用水路がある。

念仏供養塔、金毘羅大神、三峯山他5塔がある。この石碑群が向いている道沿いの民家のお庭には、なんと石造りの寶舟がある。

 

坂の下茅葺き停留所と石碑

2011.01.06

遠野市附馬牛町東禅寺5地割

無理矢理茅葺き停留所とそばの石碑を掲載しました。

大正7年3月10日に建立された天照皇大神の石碑がほどほどの大きさです。傍らにはほぼ同じ大きさの倒れた石塔があり、背後には墓石と思われるものがあります。

坂の下茅葺き停留所がまだまだ新しい。中から天井を伺うと茅葺きの組み方がよくわかります。

 

和野の子抱地蔵と供養塔

2011.09.10

遠野市附馬牛町下附馬牛19地割

和野集落に一際目立つお地蔵様と1塔の南無阿弥陀仏の供養塔です。

このお地蔵様ですが、胸部分中央に頭と耳に見える丸いものを抱えています。つまり子供を抱いているように見えます。よって勝手に子抱地蔵とさせていただきました。

南無阿弥陀仏の石塔とも近く、なにかの関係があるのでしょうか。また、別の所でも石塔に彫られた地蔵もありました。

 

 

小出待華の石碑群

2011.10.06

遠野市附馬牛町上附馬牛17地割

「待華」とは早池峰山三女神伝説から来ているものと思われるが如何に。

金比羅大神宮、金比羅大権現、念仏供養塔、金比羅塔、金華山の5塔があります。丁度重湍渓(チョウタンケイ)への入り口に隠れるようあり、猿ヶ石川にコンボトリ沢が注ぐところにあります。このコンボトリ沢という雑草で覆われた小さな川で釣りをしているおじさんがいましたが果たして何が釣れるのか。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

大野の石碑群

2010.08.29

遠野市附馬牛町東禅寺4地割

4塔の石碑が道路に向かい並んでいます。金比羅大神宮、金比羅大権現など金比羅詣での記念碑があります。

道路を挟んで反対側には、遠野では珍しいレンコン畑が広がっています。今盛んに花が咲いていてピンクの花が可憐です。

安居台の供養塔群

2011.09.10

遠野市附馬牛町安居台3地割

安居台から松崎町に抜ける道沿いにあります。ここには柳田国男が通った忍峠(しだとうげ)への入口がある。いつの間にか杉林に覆われていた道は明るくなり、片側の杉林が消滅していました。伐採された杉丸太は道路脇に積み上げられていました。

南無阿弥陀仏、保食大神、三峯山、馬頭観音、雷神などがあり中央にはお地蔵様が安置されている。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

薬師橋の金比羅石碑群

2010.07.17

遠野市附馬牛町上附馬牛9地割

上柳地区にある荒川に架かる薬師橋のそばにある石塔群です。金比羅大神、金比羅大権現などが主で、庚山、南無阿弥陀仏もあり。薬師橋とはそばに薬師堂のようなものがあるのか、または昔あったのか。それとも近くの徳昌寺との関係は。いずれにせよこの地域では金比羅詣りが主だったようです。

 

張山の石碑群

2010.07.17

この石碑群は撤去され現在はありません。

遠野市附馬牛町上附馬牛4地割

県道160号線沿いにあり、遠野ふるさと村からも程近い張山コミュニティーセンター前の道路を挟んで反対側にある。一番大きい西国順禮塔を真ん中に5塔が並んでいる。他には山神塔、金比羅塔、馬頭観世音がありもう一つは読むことが出来なかった。

 

荒屋の供養塔群

2010.07.16

遠野市附馬牛町下附馬牛4地割3番地

明治29年10月10日建立の大型の石碑、金比羅・伊勢両宮紀念碑が目を引きます。通常であれば石碑は同じ方向を向いているのですが、文字の判読できない古い石碑群は現在の道路と直角の方向を向いています。察するに江戸期と現在の道路の関係が伺えます。

見ざる・聞かざる・言わざるの石碑群と早地峰古道

2010.08.29

遠野遺産第79号

遠野市附馬牛町東禅寺3地割

目、耳、口を塞いだ三猿を刻んだ石碑など8基の石碑が、早池峰山へ向かう古道に建ち並んでいる。三猿の石碑は庚申塔で、庚申信仰が長く続いた記念に建てたもの。石碑群と古道の雰囲気が歴史を感じさせる。

過去に撮影された画像はこちらにあります。

火渡の石碑群

2011.08.29

遠野遺産第17号

遠野市附馬牛町上附馬牛7地割

路傍の石碑14基(有縁無縁萬霊供養塔、西国巡礼塔、三峯山、馬頭観音、庚申塔などがある)。この石碑群は、背後の田園風景とあいまって、景観的に良好で あり、様々な刊行物の被写体として利用されている。

東日本大震災で半分以上が倒れた石塔もようやく5ヶ月振りの8月7日に完全修復されました。大きな余震が続きましたので再建の時期が長引いたのでしょう。地元住民の皆さんご苦労様でした。

過去に撮影された画像とYouTubeはこちらにあります。