さんさ踊り

下郷さんさ踊り・・・遠野市宮守町下宮守下郷地区

 

演目には「輪踊り」、「組踊り」がある。踊手、太鼓、笛で成る。太鼓は踊りながら叩く。北海道十勝、花巻市横志田、東和町谷内を経て昭和24年に下郷に伝えられた。9月28日頃にある砥森神社例祭に奉納される。

 

山口さんさ踊り ・・・遠野市土淵町山口

 

山口さんさは、大正初期に小国から婿入りした尻石磯吉が、兄嫁を山口の家に泊めて地域の方々に指導したことから始まったもので、もしかすると当初は歌も伝えられていたかもしれませんね。この磯吉は、大工で福泉寺では東和町の小原樗山と仕事をした方でもあります。(ブログ「遠野」なんだり・かんだり様より拝借)

 

大浦さんさ踊り ・・・下閉伊郡山田町

 

黒川さんさ踊り ・・・盛岡市黒川

 

他の多くのさんさ踊りが、三ツ石神社伝説を由来とするのとは異なり、関東武士の戦勝祈願の踊りが原点。 見た目には軽やかに演じられるが、腰帯が地面に触れるほど腰を低くした姿勢と体のひねり、 手首の柔軟な使い方など躍動感あふれる振りが特徴。 戦前までは芸の流出を避けるため、一家の長男にしか伝えなかったが、 昭和43年に復活してから広く住民に広がり、現在は長男に限らず幅広く伝承されている。

 

三本柳さんさ踊り ・・・盛岡市三本柳

 

三本柳参差踊の由来
さんさ踊りは盛岡を中心とした旧南部藩領の代表的盆踊りであり、その言い伝えられて居 る起源は、「大昔のこと三ッ石(盛岡市三ッ割)の地にしばしば悪鬼が現われ、住民を悩 まし旅人を脅かすので、住民達は困り果てて三ッ石大権現に悪鬼退治を祈願したところ、 神様は速やかに嘉納し悪鬼を罰し「今日以後良民に仇するなかれ」と三ッ石に誓約の手形 を押させ、これからは南へは来ず北方へ退散すると言う誓いをたてさせた。この三ッ石権 現の加護で悪鬼を撃退した。この地の住民は里の平安を喜ぶ余り、欣喜雀躍して三ッ石の 周辺をサンサ入り乱れて踊り狂った。」これが「参差踊り」のはじまりだと伝えられてい る。その後、これがしだいしだいに踊りとしての姿をなして来た。古い歴史を持っている 踊りの形式は円舞式で、楽器は太鼓と横笛の二種で灯火も衣装も不要、皆んな輪になって 楽器に唱和して調子ゆっくりのんびりと踊ったのが本来の姿であったと伝えられている。 しかし年月が経つにしたがい、踊り方もだんだん変わり遷って更に唄の囃の「サンサナー ム」が「サンサエー」又は「サンサヨー」と変わっていったと伝えいるが、昔仏の供養、 精霊と共に踊るという信仰も加味していたものが、この三本柳の地方にある老いた三本の 古木の柳のもとで、盂蘭盆にこの地の人々の踊った記録は巻物と共に保存されてあったが 、不幸にして明治43年9月1日の北上川の大洪水で流失してしまった。しかし三本柳の 有志によって今なお踊り方、囃子等、先輩から口伝えに教えられた当時の三十三の踊りが そのまま受け継がれている。(三本柳参差踊保存会・都南太鼓保存会 「30年の歩み」より)