遠野、桜の名所案内
遠野では誰でも知っている桜の名所、遠野遺産に認定されたけどあまり知られていない名所、私個人の一押しの名所をご紹介します。
2012.05.07
遠野遺産第63号
遠野市遠野町4,5,6地割
天正年間(1573~1592)阿曽沼氏が築城。後に遠野南部氏の居城となった。明治 2年(1869)に廃城。玄関跡の葺石、礎石の残る本丸や家臣の屋敷があった平場、空堀などの遺構が現在も残されている。現在は都市公園となっている。
昨日で遠野さくらまつりが終了しさぞ寂しい公園かと思いきや、展望台方面から賑やかな声が。展望台脇で家族でしょうか、アカペラで次々と歌が繰り出しお花見中で小学生位の子供もいました。
展望台までは車で上ることができます。タクシーで老夫婦が来ていました。
城跡にはまだ桜が散り止んでおらずまだ桜を満喫できます。でもずんぐりとして大きいクマバチには要注意。
2012.05.07
遠野市遠野町5地割40番地
遠野さくらまつりも昨日で終了し、ここを訪れる観光客の姿がありません。さくらまつりの幟を片付けに軽トラで回っています。ここが最後のようです。
さくら満開の時期は過ぎ、境内には花吹雪が舞っています。
最初に目に入る南部神社の石柱は平成2年11月建立のもの、道路を隔て反対側にも昭和32年建立の石柱があります。この石柱と狛犬に出迎えられ、図書館・博物館を横目で見ながら坂を登ります。境内には平成21年5月3日建立の七福神の石像が迎えてくれます。東北一とありますが何が東北一なのかわかりません。本殿では三体の権現様が私たちを見つめています。本殿左脇には一乗稲荷神社があります。詳しい説明はこちらをご覧ください。
2012.05.06
遠野市松崎町松崎12地割
ここは丁度光興寺との境に当たる。道路にせり出しているイヌザクラの古木が通称「観音桜」と呼ばれている。松崎観音堂が背後にあり、お堂の建立となんらかの関係があるのかもしれない。かなり幹が腐食しているがなんと1000年という推定樹齢らしいが。なぜ遠野市天然記念物に指定されないのだろうか。
ここには茅葺きの水車小屋も設置されておりサクラを観賞するにはいい場所である。イヌザクラが咲いているのを見たのは今年初めてだ。この観音桜は古木で勢いがないため遅咲きなのかもしれない。
2012.05.06
遠野遺産第35号
遠野市松崎町光興寺13地割84番地
「夫婦杉桜」は、杉と桜が根元で抱き合い、長い年月寄り添う姿は夫婦のようである。元八幡宮は、南部氏が寛文元年(1661)に八幡宮を現在の踊鹿山に遷宮した後、荒廃していたが明治以降に復興された。
お社内は広く例大祭の賑わいを感じさせる。左側側面には、ぴたりと張り付くように金毘羅大権現と刻まれた割と大きな石塔が3塔建立されている。なぜか神社の壁を見るように建立されている。
今回は夫婦杉桜を中心に撮影しました。
2012.05.06
遠野遺産第84号
遠野市松崎町光興寺4地割
阿曽沼氏は源頼朝が奥州を平定した文治5年(1189)~慶長5年(1600)の滅亡まで13代400年間に渡って遠野の領主でした。中央の五輪塔は室町期と伝えられ遠野最古のものです。
シダレザクラそして芝桜が美しい場所です。墓碑の裏手にはリンゴ畑が広がっています。ここはりんご農家が多い地域です。
2012.05.06
遠野遺産第96号
平成9年7月25日遠野市天然記念物指定
遠野市松崎町光興寺8地割
ここは護摩堂山と猿ヶ石川とを利用した阿曽沼氏の山城の跡です。はじめは八幡山が築城地として選ばれましたが、領主に夢のお告げがあってここに変えられ、建保年間(13世紀)に築城されました。
この日、一人の若者とすれ違った。うつむき加減に「こんにちは」と声をかけてきた。ここに来るとはなかなかマニアックと感心しつつ、「熊に出食わなかったな」とほっとしつつ登る。が途中の階段上で熊の糞と思われるものがのっこりとあるではないか。しかもまだ新しい。少々ひびりながら咳払いをしつつ目的地に辿り着いたのだった。
もうこの日では桜は散り始めていたが彼岸桜とともに山桜もまだ花が咲いていた。
2012.05.05
昭和62年5月21日遠野市天然記念物指定
遠野市松崎町白岩10地割
個人宅の庭にある珍しいエドヒガンとイヌザクラの寄木である。桜の花が満開を過ぎているものと青々とした葉だけのものが妙なコントラストで目に入ってくる。満開状態なのがエドヒガンで葉だけになっているのがイヌザクラ。ということはイヌザクラは散ってしまったあとなのか。先日小友町のイヌザクラを見に行ったのだが桜の花はなく葉のみだった。ということは、寄木にするメリットとは長くさくらを観賞できる点なのだろう。この桜の寄木というスタイルは遠野ではここだけなのだろうか。
じっくりと写真に納めたかったが、個人の庭先でしかもお留守だったので次回改めて許可を得て隅々まで撮りたいと思う。
2012.05.05
昭和59年6月8日遠野市天然記念物指定
遠野市土淵町山口2地割
市指定天然記念物の山桜の古木です。幹が大分傷んでいますが、枝振りはまだまだ元気です。散り始めて2日位経ったのでしょうか、遠野市内とりわけとぴう玄関前の山桜はいち早く咲き、いち早く散ります。ピンクの濃い花びらが特徴の山桜はやはり山にこそ相応しい桜という気がします。ここの山桜は山間のため市内よりは咲き始めるのが遅いようです。それでも7分散りというところでしょうか。3日から続いた雨で大分散ったのでしょう。
2012.05.05
平成2年8月10日遠野市天然記念物指定
遠野市綾織町新里2地割
推定樹齢300年ほどのエドヒガンザクラです。とりあえずは樹の古さを確認しました。幹が太く、何の支えもなく縦横に枝が長く伸びています。よく折れることもなく風雪に耐えているものだと感心します。 尚且つ、樹勢は力強く枝枝に余すところなく桜が咲いています。すぐ脇にはりんごの木があり、ようやくつぼみまで膨らんでいます。
そばに建立された謝恩碑との関係はあるのでしょうか。この桜がご神木なのか、背後には二つの小さなお社があり、その左側に水量豊富な小川があります。
2012.05.04
昭和58年5月1日遠野市天然記念物指定
遠野市青笹町青笹6地割
喜清院本堂前に誠にダイナミックで風情あるシダレザクラがある。幹下部には蛇がとぐろを巻いているようなコブがあり、推定樹齢だがそれらしきプレートはつけられておらず、察するに350年から400年ほどと思われる。
遠野市ではシダレザクラの大樹は珍しくお寺の本堂の風格とシダレザクラの枝の趣がマッチして見応えがある。
2012.05.04
遠野遺産第30号
平成9年7月25日遠野市天然記念物指定
遠野市遠野町21地割120番地
桜は貞享2年(1685)の春、南部義長公の祈願により、善応寺住職宥如法印をして湯殿山の分霊を勧請してこの境内に大日堂を建立したときに、宥如法印の手によって植えられたものと伝えられている。
2012.05.04
平成13年3月30日遠野市天然記念物指定
遠野市宮守町上宮守12地割
幹周520cm、樹高25m、推定樹齢450年、バラ科。
国道からもさくらが咲いているのがよく見える。ここは八坂神社の境内で回りを大杉が囲っているため日当たりの良い高い所だけ花をつけている。 そのため近くから見るより少し離れたところから眺めるのがいいかもしれない。
高舘跡のエドヒガンザクラは樹齢700年と言われており幹に老化が目立っているが、ここのさくらは450年経った今もやや苔や縦に裂け目が見えるが力強く若々しい。
2012.05.03
平成10年12月22日遠野市天然記念物指定
遠野市宮守町下鱒沢34地割
高舘跡が現在のこの八幡神社周辺となります。約700年前遠野地方を統治していた阿曽沼氏の家臣面懸左衛門尉が居城した舘城で、阿曽沼朝兼により攻め滅ぼされてしまいます。
この桜はその殿様が植えたと言われる周囲7mのエドヒガンという種類のものです。
この桜も樹齢700年程度と推定されています。太い幹が割れ、中から新しい若い樹が育っていて1本の樹の中で世代交代をしながら生き続けています。元々の樹の枝に咲いた桜は今が盛りですが、若い幹の桜はまだつぼみでした。
JR釜石線・綾織駅・午前11:57下り普通電車が桜ロードを行くYouTube2012.05.06
雨の綾織さくら街道YouTube2012.05.03
日影橋を起点に愛宕橋を通り、高速道路インターチェンジ工事現場を横切り、遠野道の駅「風の丘」右脇から国道283号線に出て綾織さくら街道を走りました。
雨の船渡公園さくらロードYouTube2012.05.03
車でさくらの真下を通ることができます。