角城館麓の神社群-遠野遺産第80号-

角城館麓の駒形神社と稲荷神社

2011.09.15

遠野市土渕町栃内25地割

阿曽沼時代の角城館があった頃、麓に多くの神社が建てられた。神社群の中核をなす釜平神社には安永 3 年(1774)銘の鰐口がある。他に、お不動様、お稲荷様、駒形神社、山神様、石神様が古道沿いに点在する。

駒形神社は山の斜面にあり、角城集落入口から赤い鳥居が見ることが出来る。社は2つあるが、1つは絵馬堂を兼ねている駒形神社。小さい祠は木彫りの狐が奉納されている稲荷神社である。

釜平神社

2011.09.15

遠野市土渕町栃内25地割

阿曽沼時代の角城館があった頃、麓に多くの神社が建てられた。神社群の中核をなす釜平神社には安永 3 年(1774)銘の鰐口がある。他に、お不動様、お稲荷様、駒形神社、山神様、石神様が古道沿いに点在する。

阿曽沼時代(鎌倉時代)に建てられたと言われている。阿曽沼氏が遠野十二郷の地頭と鳴ったときに鎌倉仏教の一つで臨済宗が遠野地方に伝えられたその時に建てられた神社が諏訪神社、神明神社、加茂神社があり、その流れをくむ賀茂神社の一つであろうと言われている。

また、当神社ではお湯立ての神事が盛んに行われていたその時に使った釜が平らで大きな釜であったため釜平神社とも呼ばれた。

昭和8年神社の口開きの時に源義普こと南部家32代当主南部弥六郎義普(よしひろ)の武運長久の祈願所であったことが実証されている。

祭神は天照皇大神で中には能除太子、不動明王像、役行者像、虚空菩薩像の4体の像がある。

角城館麓の不動尊

2011.09.15

遠野市土渕町栃内25地割

阿曽沼時代の角城館があった頃、麓に多くの神社が建てられた。神社群の中核をなす釜平神社には安永 3 年(1774)銘の鰐口がある。他に、お不動様、お稲荷様、駒形神社、山神様、石神様が古道沿いに点在する。

沢沿いにある不動尊である。不動尊が全部で4体もある。名のある仏師という作品ではなく、素朴な木彫りの像で、それはそれで味わい深く今も大切に祀られている空気がいい。