遠野市遠野町の神社とお堂
サムネイル画像とタイトルに撮影日の画像集「withPhoto」へのリンクが施されています。左側の各項目には過去に撮影された画像集やYouTubeも掲載されているものもあります。但し、下記の説明文の最後に左側項目へのリンクがないものは、過去に撮影された画像集またはYouTube動画ありません。
2011.08.20
遠野市遠野町2地割
愛宕神社の入り口そばにある縁結びの神様です。この境内の中にも愛宕神社があります。 山腹の社まで上がれない氏子の皆さんのためでしょうか。 願いを書き留めたたくさんの赤い布が結びつけられています。赤い布は100円でお社で無人販売しています。境内にあるはずの池は水がなく、その面影を残す深くえぐられた穴があります。
YouTube動画と過去に撮影した画像はこちらにあります。
2010.07.30
遠野市遠野町5地割
市立図書館から来内川に抜ける道沿いに山に裏参道があります。表参道は丁度図書館の裏手にあり現在鉄製階段が使用不可となっており通ることは出来ません。 裏参道入り口は雑草に覆われていますが一旦中に入ると手すり付きの雑草のない参道が現れます。お堂はきれいに積み上げられた石垣の上に鎮座し石垣下の二つ に割れた岩も祀られています。この岩の割れた隙間の前に檻らしきものが備え付けられていますが果たしてキツネ捕獲のためか。
2012.05.07
遠野市遠野町5地割40番地
遠野さくらまつりも昨日で終了し、ここを訪れる観光客の姿がありません。さくらまつりの幟を片付けに軽トラで回っています。ここが最後のようです。
さくら満開の時期は過ぎ、境内には花吹雪が舞っています。
最初に目に入る南部神社の石柱は平成2年11月建立のもの、道路を隔て反対側にも昭和32年建立の石柱があります。この石柱と狛犬に出迎えられ、図書館・博物館を横目で見ながら坂を登ります。境内には平成21年5月3日建立の七福神の石像が迎えてくれます。東北一とありますが何が東北一なのかわかりません。本殿では三体の権現様が私たちを見つめています。本殿左脇には一乗稲荷神社があります。詳しい説明はこちらをご覧ください。
過去に撮影した画像はこちらにあります。
2010.07.11
遠野市遠野町32地割
遠 野地域に初めて電気の灯をともした遠野水力電気株式会社「女男石(めおといし)発電所」のあった所の脇にあります。実際女男石稲荷神社と呼んでいたかは定 かではありません。発電所は大正2年営業開始であるがいつその役割を終えたのかは書かれていない。果たしてこの発電所と関係するものであれば、工事の安全 祈願、完成及び操業の無事を感謝し建立したものか。
2010.07.11
遠野市遠野町32地割
遠 野町から来内に抜ける道沿いにあります。荻野家の氏神で、通称「権現様」と呼んでいるそうです。遠野町と来内の丁度境にありなにか意味するものはあるの か。山肌にへばりつくように建つお堂、短くても石段が組まれお堂周りの雑草はきれいに刈られていました。ここに鎮座する狛犬が細身の足長でかわいい。狛犬 自体は古くなく、土台だけが苔生していました。人気のない道路沿いでもあり、いたずらされて困るとか。残念です。
2010.07.11
遠野市遠野町30地割
九重沢集落 の上手に位置し、なだらかな丘陵から山に変わる沢沿いにあります。鳥居ではなく九重澤不動尊と書かれた石柱とワンワンと警戒しながら寄ってくる犬が迎えて くれます。雑草に埋もれた境内にまるで公民館を兼ねていたのでしょうか、奥行の深い大きなお堂が現れます。その左脇に荒れた無人の民家が哀れです。
2010.07.10
遠野市遠野町24地割1番地
斎 場直近の分かれ道を右に、100m程行くと赤く塗られた囲いが目に入ります。及川さんという方の敷地内にあるようで個人のお社か。赤い鳥居も個人としては 大きくお堂もほどほどの大きさです。最近建立したか、立て替えたのでしょうか、かなり新しい感じがします。
2011.02.24
遠野遺産第115号
遠野市遠野町21-41-3
文禄年間(1592-1595)に葛西氏の遺臣欠下茂左衛門が旧領石巻日和山の稲荷社を勧進し、享保12年(1727)にお堂と共に現在地に遷座。祭神は倉稲魂命で本殿に神像が祀られている。神像は江戸期の作。安政2年(1856)の本殿修復棟札がある。
現在の本殿と拝殿は、昭和17年に建てられたもの。最古の資料は狐の浮き彫りがある板で弘化2年(1845)の銘がある。旧6月15日が例祭日。
登り口の亀塚は、釜石港に上がった大亀を葬ったときに築かれ、嘉永2年(1849)銘の石碑が建っている。
過去に撮影した画像はこちらにあります。